わるガキ

しらんぷり

あるいてたら

わるガキに青柿ぶつけられた

せいかく悪いと思ってた

 

いつの時代にもいる、悪ガキくん。

学校帰り、イヤな予感しながら、柿の木の下を通ると、案の定、まだ青くて固い柿をぶつけられた。半泣きで家まで帰ったっけ。今思うと、それこそ昭和の漫画の一コマみたいで、笑える。

 

それ以降も、帰り道が一緒なせいか、時々遭遇してしまった。が、なぜか少しずつ話すようになり、そのうち、段々打ち解けて来た。

意外とフツーの男の子だったかも。

やんちゃだった彼は今、どうしているだろう。

駄菓子バンザイ!

しぶいガラス戸を

あけて「ちょうだいな」

わたがし、あんず、ふがしに すこんぶ

せんべいは梅ソースで

 

駄菓子屋と言えば、みな様々な思い出があるのではないだろうか。私が住んでいた蕨市では、思い浮かぶだけでも、3軒はあった。

その中でよく足を運んだ駄菓子屋は、お店の構えがとても渋かった。

全面のガラス戸をガラガラと開けて、必ず一声、「ちょうだいな」または「くださいな」と、奥にいるおばちゃんに声をかけて入った。

そこで買うのはたいてい決まっていて、私の好みは、みつあんずだった。

お店には甘い物はもちろん、なぜかすっぱい物もたくさんあった。

酢こんぶ、すもも、さくら大根、酢イカなど。今これを書きながら、だ液が自然と出て来てしまう。これらは今でも売っているし、今でも美味しい。駄菓子バンザイだ!

当時は一本一本買っていた大好きなふ菓子。

大人になった今、袋ごと買えるしあわせを、密かに味わっている。

 

 

                                       

                                       

スカートめくり

しっとした

あの子に

わたしのスカートめくられなかった

せきまで行ってアピールしたのに

 

今だと子ども時代のセクハラになるのでしょうか。いえいえ、女子も結構喜んでいた記憶が私にはある。なぜなら私自身、正直嫌いではなかった⁉︎からだ。

今となっては、この遊びの名も、死語になっている。

よく、廊下で後ろから追い越すついでにめくられた。気になる男子が友人のスカートをヒラリとやると、「私のをめくってよ!」と、内心嫉妬にかられたりした。

 

今は恐らく誰もやる事のない(もしかしてまだやってる?)貴重な遊び。

捨て犬

しょんぼり帰る

あき地のすて犬

わたしの家では飼えないと

セーターにくるんでさよならした

 

「また拾って来たのー?」と台所から母の声がした。私は犬が大好きで、よく拾って来た。今はほとんど目にする事のない、捨て犬。ダンボールに入れられた子猫もよく見た。

あの時は冬で、さすがにそのまま捨てるのはかわいそうなので、古いセーターで仔犬をくるんで、母と一緒に、遠くまで置きに行った。

何にもしてあげられなかった。ただただ悲しかった。

リリアン

しょくじも忘れ

あみ続けた

わになって出てきた

せんせいにも見せた

今も駄菓子屋の壁にぶら下がって売られているかしら?

2人の娘たちも、一時はまった、永遠不滅のリリアン

女子の必須道具。ハンドマイクの上の部分が無い形で、下から編み上がったものがヒモ状に、ニョキニョキ出てくる、あのリリアン

編み糸は、虹色が大人気。徐々に伸びてくる七色の輝くヒモに、あんなにワクワクしていたなんて。

夕方は夢中になり過ぎて、「ご飯よ〜」とよく母に言われて、途中でなかなか止められなかった。そんなひとときが懐かしく思えてくる。

出来上がると学校に持って行って、友だちや先生にも自慢した。

アッコちゃんのコンパクト

しっぽなが可愛いかった

あっこちゃんのコンパクトは

われてなくしたけど

せりふは今でも覚えてる「テクマクマヤコン

魔法使いサリーや、ひみつのアッコちゃんが大人気だった。中でもアッコちゃんのコンパクトは、何にでも変身出来る優れもの。女の子なら誰しも欲しがったオモチャの一つだ。フタを開けて呪文を唱えて、ワクワクして、変身の時を待っていた少女時代。フタのキラキラ模様を今でも覚えている。

それから、ハクション大魔王みなしごハッチガッチャマンなど、アニメの黄金時代へと、突入して行った。

夏休みの宿題

しゅくだいは

あさがおの花の観察

わたしの花は

せかいいち 大きいよ

 

小粒の豆のような中から、これまた小さい粒々。あさがおの種が懐かしい。なかなか出て来なかった苗を待ちわびていたっけ。

双葉が出て来た時、わーっと歓声をあげたものだ。

小学低学年、夏の絵日記の宿題、当時はあんなに面倒だったのに、今思うともう二度と課せられない。

宿題の想い出は、なぜこうも切ないのだろう。