相合い傘
しってもらいたくて
あいあい傘の落書きを
わざと書いた
せつなくて
相合い傘の落書きなんて、平成の時代に見たかしら?
小学3年の頃、片想いしていた男子は、同じクラスのやんちゃな子。落書きを何個も書いたせいか、彼の名字は今でも覚えている。
大好きだったのに、好き!とは言えなかった想い出の一つ。
あやとり
しんけんしょうぶの
あやとりで時間を
わすれて
せいざが痛い
ぐにゃじん
しょうねんに
あいに行ったよ 本当は
わたしだけお豆の
せんを引いて楽しんだ ぐにゃじん
ぐにゃじんという遊びをご存知の方は果たしているだろうか。
敵と味方に分かれて行う、簡単に言うと、陣取りゲーム。子どもの頃の遊びで、好きだったものはと聞かれたら、まずこのぐにゃじんを一番に挙げるだろう。
校庭などの広い敷地で、まず線をぐにゃぐにゃ蛇のように書く。ぐるっと一周させてスタートの所に近づける。だいたい6名から20名ほどの人数でできる。
攻めと守りを決めたら、攻めのグループは、一人ずつ、スタートからゴールまでぐるっと回る。ゴールに行けた者は中の陣地に入り、宝のある場所まで行けたら勝ち!
ただ、陣地の中には、宝を守ろうとする敵がいてゴールに着くまで、押したり引っ張られたりする。道から出てしまうと、その人はそこでアウト。
細くなった道をいかに通れるか、そこに、このゲームの醍醐味がある。守る方も命をかけて、時には自爆をしてまでも通らせないという、使命に燃えていた。ドキドキハラハラ、こんなに面白い遊びを一体誰が考えてくれたのだろう。
昔は放課後になると、低学年も高学年も一緒になって遊んだ。幼くおませな私は、好きになった6年生の男子に会うのが、もう一つの楽しみで、お豆となって参加したものだった。
(お豆とは、一緒には遊べるが、参加者の数には入れない、ハンディキャップのようなもの)
アメリカンクラッカー
しる人ぞ知る
あメリカンクラッカー
わらびにいた時 カチカチと呼んでた
せいこうすると快感だった
アメリカンクラッカーは、当時、大流行した遊びの道具だ。幼少期を埼玉県の蕨市で過ごし、その時は遊ぶと音がカチカチというので、「カチカチ」と呼んでいた。
至って単純な遊びだが、きれいにカチカチ出来ると、一応に達成感を味わえた。
(失敗すると、手に当たって痛かった!)
オセロやパズル、知恵の輪など、シンプルな遊び物は今でも楽しい。
LPレコード
しーディーなんてなかった
あこがれアイドルのLPレコード
わからないよに こっそり聴いたのに
せめられた姉に
生まれて初めて買ったレコードは、アタックNo. 1の主題歌だった。お正月のお年玉で購入した。当時主流だったドーナツ盤は、少女マンガ雑誌の付録にも登場した。ソノシートとかいうものだ。
あの、曲が流れるまでの針が、レコードをすべる音は、今ではほとんど聴く事が出来ない。
現代のいくらでも録音出来るCDと違って、レコードはその場しか聴けない大変貴重なものだった。
姉が小遣いを貯めて買った、アイドルのLPレコードを、どうしても聴きたくて、こっそり聴いた!姉の外出中に。きちんと元の場所に戻しておいたはずなのに、
「レコード聴いたでしょ!」と後でチクチク怒られた。そんな記憶が、今となっては懐かしい。
お祭りのヒヨコ
しんでたヒヨコ
あさ冷たくなってたヒヨコ
わがまま言って買ってもらった
せなかをずっとなぜていた
夏祭りの夜、無理矢理、母に頼んで買ってもらった、小さなヒヨコ。
昔はお祭りにはたいていヒヨコが売られていたものだ。
翌朝ヒヨコを見るのが楽しみで、そそくさと箱を開けてみると、ヒヨコはすでに死んでいた。死ぬって事は、冷たくなる事。子どもながらに思い知ったと思う。
でも、もしかしたら、背中をさすって温めたら、生き返るかな、生き返るよね?生き返って欲しいなと、幼い私はただただ願っていたのだろう。